なないろのゆりブロ

百合系創作サイト「なないろのゆり」の更新情報などを中心に書いていくブログです。こちらはひとことおまけがつく仕様すのでよろしくお願いします。
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# 某ハルカトミユキ植田真梨恵ツーマン下北的ライブレポ(2016.4.07)



某ハルカトミユキ植田真梨恵ツーマン下北的ライブレポ(2016.4.07)
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# 最近好きな某ドラマについて その2


昨日に引き続いて某LA○&○RDERのお話です。

S5の途中から検事補の役は交替となってしまうのですが、後任のこちらも超おすすめなルックスと性格の方となっております。

気づいたのですが、私は比較的すっきり系にまとまったシャープな顔立ちの女性が好きみたいです。

そういう人って、お仕事スーツがものすごく栄えますね〜
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# 最近好きな某ドラマについて その1


最近海外ドラマのL○W&ORD○Rが好きです。
(↑例によってマジファンな方が検索で流れてくると危ないので伏せます)。

一話完結でどこから見てもいいし、話もよく練られていてものすごくおもしろいです。

でも一番見ていて楽しいのは、登場してくる某キャ○ット検事補の活躍だったりします。

・有能な法律家
・理論的な性格
・前髪なしのストレートヘア
・毎回スーツ
・縁ありメガネ

すべてが私にとっての黄金率の配合です。

S5から後任へと役はタッチされるのですが・・・
それはまた次回に。
| comments(0) | trackbacks(0) | 15:18 | category: 日常 |
# 誰かを好きになるということ
誰かを好きになる瞬間というのは、どういうときなのかと考えます。
もちろん顔だけを見て好きになることもあるし、それまでそれほど気にしていなかった人のいつもと違う一面を見て気持ちが動くときもあります。
なんらかの気持ち揺れが、その人をある瞬間から特別なものに思うことができて、そこから好きだと思うことができるのだと思います。
誰かを好きにならなくても付き合うことはできるし、その人のことを好きと思っていなくても好きなように振舞うこともできます。
好きになる必要というのも、もしかしたらないのかもしれないと思いつつ、どうしてわざわざ誰かを好きになるんだろう、と思ったりもします。
| comments(0) | trackbacks(0) | 17:03 | category: 日常 |
# きれいなものと人
女性同士の心理関係というのは難しいもので、それまで対等であると思っていた友達に対して突然敵対心を抱くようなことがあります。
誰が見ても美人と言われるようなタイプの女性に、あまり友達づきあいがうまくない人が多いというのもそこに原因があるのですが、男受けが良すぎる人というのはほかの同性からなんらかの敵対心を抱かれてしまうため、同性同士の付き合い方を知らずに成長してしまったりすることがあります。
「女として負けた」感というのはおそらく男性には理解不能なのではないかと思うほど根深いもので、表面的な態度などからは簡単にわかるようにはできていません。
よく雑誌のアンケートなどで、「女に嫌われる女」のランキングの中に必ずといっていいほど「男と女の前で態度が全然違う」という人がいます。
もちろん露骨に男性あさりに肉食である人もいるのでしょうが、そういうタイプの女性の何割かは、生まれつき美人であるなどで同性同士の付き合いができにくく、自然男性とばかりいる機会が多すぎてしまったがためにそういうふうに周囲に見られるようになってしまったタイプもいるものと思います。
| comments(0) | trackbacks(0) | 07:26 | category: 日常 |
# 女に走るという言い方
レズビアンが女性に嫌われがちな理由の一つとしてわかりやすいのが「女に走る」という言い方です。
背後にある軽蔑意識を非常によく表現している言葉ではないかと思います。
「走る」わけですから本来であれば男性と付き合うことが正しいことであって、それがうまくいかなかったり悪いことがあったり、もっと言えば付き合うことができそうもない人が、逃げるようにして「走る」わけです。
しかしよくよく考えてみれば昔から同性愛傾向のあった女性であれば、「走る」のはむしろ男性に対してであって、女性に興味があることの方が普通であるわけです。
特に女性が同性愛になる理由として、身近な男性(父親や兄弟、親戚や恋人など)から心的外傷を受けることで恐怖心を抱き、安全に思える同性を求めるようになるというのがなぜか定説化しています。
もちろん、そういう理由で男性ではなく女性と付き合いたいと思う人もいるでしょうし、そういう人もそれを選択するのですから間違っているわけではないと思います。
ですけれども、男性を愛するという普通のことができない落伍者が「女性に走る」とくくられている言葉には、時々違和感を感じてしまったりします。
| comments(0) | trackbacks(0) | 07:32 | category: 日常 |
# 足りないものと見えないもの
女性は「月」から影響を受けた生き物であるとはよく言ったもので。
特に女性と話をしていると、「何かが欠けた」感じをよく受けます。
それは性格的なものだったり、自覚している空虚感であったり、隠されている魅力や才能だったりします。
それはそれまで「ない」もの、「存在しない」ものとして自分と周囲に思われてきたものではないかと思います。
ですが、女性は月に大きな影響を受けた生き物なわけで。
それは「ない」わけではなく、「見えていない」だけのことが多かったりします。
またそれは月の満ち欠けに似て、一瞬見えたと思ったら見えなくなったり、突然隠れてしまったりということもよくあります。
その一人ずつの中にある周期のようなものは、自分も含めて観察すると楽しいものであったりします。
| comments(0) | trackbacks(0) | 07:07 | category: 日常 |
# 性格の悪い人の魅力
これもまた不思議なことですが、魅力のある性格の悪い人が存在します。
反対に、魅力のない性格の良い人というのもいるのですが、その話はまた別の機会にします。
性格が悪いけれども魅力のある人に共通しているのは、自分にきちんと自信を持っている人です。
それがとても間違っていて自分勝手と思えるものであったとしても、自分の実力に伴った自信があり、物事についての成否判断が早いような人は、それだけでなぜだか憎めないと思わせたりします。
自信満々であってもそれが非常に了見の狭いものであったり、また自信に何の根拠もなかったり、あるいは物事の判断についてあまりにも押し付けがましかったりすると、似てはいるものの魅力はむしろマイナスになったりします。
はっきりとした差はないのかもしれませんが、わけもなく一緒にいたいと思わせる人というのは、性格のよしあしというのはそんなに関係ないのでしょう。
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# 色気のあるなし
女性から見て色気のある女性というのはどういう人なのかと少し考えたりします。
男性向けの色気というのはわかりやすく、単純には顔のつくりから体のラインの出し方、あるいはうまく媚びる感じを演出すれば、大多数の男性にとって「色気のある」女性とされるのではないかと思います。
ところが同じことを女性向けにしますと、程度にもよると思いますがむしろ反感を買うこともあって、度が過ぎるセックスアピールは同性を敵に回すものにもなりかねません。
「あんなふうになりたい!」的な感覚であればそれでもよいのかもしれませんが、ごく普通に女性の目から見て「色気があるなあ」と感じる女性というのはもう少し違ったものではないかと思います。
凛として、自分の意思をきちんと持っていること。
自分の美に対して無関心ではないこと。
努力をあからさまにせず、かといって卑屈にもならないこと。
そう考えると、きちんと「人間」として生きていることが色気につながっていくのかもしれません。
| comments(0) | trackbacks(0) | 07:11 | category: 日常 |
# 気持ちに正直すぎるということ
世に氾濫する物語では、さも「永遠の愛」があたりまえに存在するものだとして扱われていることが多いように思います。
断言しますがそれはただの幻想で、同じ人に対して永遠感じる愛情なんてものは存在しません。
というようなことを書くとまるで世の中に対してすねた態度をとっているようにとられてしまいそうですが、私にとってはむしろそれを認めないまま自己欺瞞を繰り返す方が「愛情」とやらに対してあまりにも不誠実だと思います。
愛情が途切れるものだからといって、いつまでも同じ人とはいられないというわけではありません。
問題は、その愛情がふつっと突然途切れたときに、その目の前の人との関係を継続したいと思うかどうかの判断と意思の強さです。
それは余計なことを考えなくても済む安心感だとか、もしくは自分の中の何かを肯定する馴れ合いだとか、あるいは経済的な損得だったり社会的な対面だったり、心理的(または物質的)な欠如に対する補足的な面があったときに、その人に対しての愛情を継続したいと判断するものではないかと思います。
逆に、そこにある一つの関係を長く続けるという気持ちも、それはそれで強い意思の力と誠実性の必要なものです。
気持ちは変わるものなのだ、ということを自覚することで、その関係を維持できるという側面もあると思うのです。
| comments(0) | trackbacks(0) | 09:10 | category: 日常 |
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